ぱっきり分けない方が楽しい

 昨日、新任の同僚の歓迎会を行った。その同僚はアイルランド国籍の政治学者であり、父親アイルランド人で、母親が日本人だという。優れた日本政治研究者であり、同僚に迎えることができて、うれしく思う。それにしても、職場の雰囲気の変化が面白いなあ、と思う。


 僕は自分の職場が編集責任を負い、オックスフォード大学出版局から刊行される英文雑誌の副編集長をしている。編集長はアメリカ人であり、マネージング・エディターはカナダ人である。編集会議や事務会議では、「それぞれ、好きな言語で話す」がルールであり、ある人は英語で話し、ある人は日本語で話す。僕はもっぱら日本語で話している。まあ、正直、それが一番、気楽に話せるからであり、みんなバイリンガルなので、とりあえずそれで問題ない。


 「みんな英語で」、というとかっこいいのだが、正直、これが実態である。それでも、このような英語・日本語混線状態でやっていけるなら、当分これでいいなあ、と思っている。


 まあ、いまは過渡期なのかもしれない。将来は、どうなるかわからない。それでも、英語と日本語が行き交う、この「過渡期」を自分は気にいっている。アメリカ人やカナダ人のスタッフは、日本語の方がいいと思えば日本語を使ってもらい、英語がいいや、と思えば英語で話してもらう。僕もメールなどは、英語の方が手っ取り早いと思えば、英語で書くし、面倒くさいときは日本語で返事する。なんとなく、その中途半端さが心地いい。


 話を戻すと、歓迎会に出席している人のうち、半分近くが日本以外の国籍をもつ人たちだった。異なる言語が行き交いつつ、酔っぱらうと、まあ、おんなじようなものだとも思った。ちなみに、その新人同僚は、赴任後、大学近辺のラーメン屋と定食屋を制覇したという。帰り道、一緒に歩きながら、「やるなあ、この人」と思った。英語/日本語できっぱり分けたいとは思わない。この微妙な併存時代を、楽しみたいと思う。