ふらふらしてもいいじゃないか

 机のまわりの本を整理していたら、内田樹の『日本辺境論』が出てきた。出版された直後に買って、それっきりになっていたらしい。


 この本、かなりよく売れているらしいけど、最初、僕はあまり感心しなかった。ジャンルとすれば、いわゆる日本文化論になるだろう。日本文化論は、その多くが地理決定論になる。ある意味、この本はその典型といえるだろう。


 日本は地理的にいって、中国文明の辺境にあった。このことから日本人は、自分たちを普遍的なものの担い手ではなく、むしろ特殊な存在であると考えがちになる。そのような思考法が身についてしまったのだ。結果として、つねにモデルになるものを求めて「きょろきょろ」する。まあ、この手の論理である。個別的にはおもしろい見方もあるのだが、全体としては、ちょっと既視感がある。


 それでも内田の巧みなレトリックやたんかの切れの良さで読んでいくと、内田は、「それでもいいじゃないか」という方向に議論をもっていくようだ。この種の日本的な思考法は、主体性のなさや現実追随主義に結びつきやすいが、反面、つねに「学び」への動機づけにもなりうる。外に「世界」はあり、自分たちは「遅れて」そこにやってきたという自覚は、それを学ばなければならないという意識につながるというわけだ。


 ふらふらしていていいじゃないか、外国から尊敬されなくてもいいじゃないか、というあたりは内田節の真骨頂。正直いって、この論に僕は抵抗感もあるのだが、まあ、一つの主張ではあろうと思う。