移動と荷物

 今回のアメリカ滞在では、一時滞在者の生半可な目でみたことを軽々に話さないように、と思っていた。人ははじめて訪れた場所で見たこと、経験したことを過剰に一般化して語りがちである。ついつい「文明論」までぶってしまう。しかしながら、その観察は多くの場合紋切り型であり、安易である。それは恥ずかしいと思っていたのだが、それでも少しだけ書きたくなった。いやはや、こりない話である。


 こちらに来て感心したことの一つに、人がよく中古のものを使うということがある。年度の切り替わるこの季節、町を去る人がいたるところでガレージセール、ムービングセールをしている。こちらについたばかりの僕らにしても、これを多いに利用させてもらっている。まあ、たしかに何も新品を買うことはないのである。中古でも、だいたいのものが揃う。実際、アメリカでは家にせよ、自動車にせよ、中古市場が確固として成立しており、日本のように新築の家や新車が、ちょっと使っただけで大きく値崩れするということはない。


 まあ、これだけなら、アメリカ人は物を大切にして偉い、という話になるかもしれない。そして次には、しかしながらアメリカは大量消費社会ではないか、という反論も来るかもしれない。とはいえ、問題はそこにあるのではない。肝心なのは、アメリカ社会に特徴的な生き方、ライフスタイルなのではないかと思うのである。


 ここらあたりから怪しい文明論に入りかけている気もするが、やはりアメリカ社会は、つねに移動を前提にした社会なのではなかろうか。人は生まれ育った町を出て、やがて次の町へ行く。絶えざる移動を前提にしている以上、物を多く持ちすぎるわけにはいかない。移動に際しては持ち物を大幅に整理し、売り払う。そして次の町で、同じようにそこから去って行く際に売り払われた物を買って、生活を整える。人生はその繰り返しである以上、中古市場は不可欠である。


 ちなみにいま、自分がすまわせてもらっている住居も、研究室も、本来の持ち主の不在中に貸してもらっているものだ。その本来の持ち主は、出発にあたって中の荷物を整理して、一時利用者のために空にしてくれている。日本では、在外研究などで留守にしている研究者の部屋を一時的に空にして、他の人に貸すということはあまりないのではなかろうか。また、夏休み中、大学の寮なども一時的に荷物を空けて、旅行客用に供されるのがアメリカでは一般的であるが、これまた日本ではあまり聞かない話である。


 あらゆる場所は一時滞在用であり、次の移動に向けて持ち物をたえず整理する。ちょっとの間、そこを空ける場合でも、荷物を整理して貸せるようにする。そのようにすることで、絶えず荷物が増えすぎないようにすることが重要である。


 人生は絶えざる移動である以上、つねに持ち物を整理して身軽にしなければならない。これはこれで確固とした人生の哲学ではなかろうか。少なくとも、ついつい不要なものまでため込んで動きのつかなくなる僕には新鮮な考え方に思える。