サルトルの時代

 今日は学会三日目。のはずであるが、僕は授業があるので参加できない。いや、やはり三日というのは体力的につらい気がする。


 といいつつ、講義の準備も楽ではない。この講義、フランスの現代史と社会思想を扱っているが、後期は戦後編である。前回、ジッドとサルトルを話したのだが、なんとなく話したりない気がして、今回もサルトルの話をする。


 にわか勉強でサルトルについての本を何冊か読む。う〜む、読めば読むほど、サルトルは面白いが、日本のある世代以上のサルトル研究者のナイーブさには、ちょっと辟易とする。まあ、彼らのサルトルへの思いはわからないではないけど、やはり今の時点でのきっちりした総括が欲しい。「僕たちの好きだったサルトル」をなつかしげに語られてもねえ、、、ちょっとひくな、やっぱり。


 もっとも僕ですらかなり距離を感じるわけであるので、今時の学生さんに「サルトルが輝いて見えた時代」を理解してもらうことは、限りなく困難である。でも、そういう時代の空気を理解してもらわないと、フランス戦後思想、いや日本の戦後思想もうまくわかってもらえない気がする。まあ、ここらががんばりどころだ。