大学に入った頃

 都知事選で舛添要一さんが話題になっているので、僕の駒場時代の記憶を少々。


 僕が駒場に進学したのは1986年。思えば、中沢事件の直前である。といっても、なんにも知らないフツーの大学一年生だった僕は中沢新一さんはもちろん、舛添さんの名前も知らなかった。後から思えば、僕のまわりの少しは野心的だった同級生は佐藤誠三郎さんや舛添さんのゼミに参加していたようだ。


 大学に入った直後のことで覚えていることがある。都内の私立名門校出身のクラスメートに、「ヤマグチマサオはもう古いよね」と言われ、「はて、ヤマグチマサオって誰だろう」と思いつつ、何となく「そうだよねえ」と答えたのだ。ヤマグチマサオが山口昌男で、当時のちょっとませた東大生が、「ヤマグチマサオはもう古いよね」と笑うニュアンスを理解したのは、それから10年以上先のことであった。


 西部邁さんに入れ込む同級生もいたが、どういう人なのか何となくわかるようになったのも、それからだいぶ後の話だ。ちなみに「保守主義」を語るようになった西部さんはいまだにどうも苦手だが、それ以前の西部さんはちょっと気になる。フランス語の先生は最初が渡辺守章さんで、途中から小林康夫さんに交代した。いま思えば豪華な先生に習ったものだが、当時はまったくわかっていなかった。あと、科学史の講義で佐々木力さんの授業に出て、「なんだか鼻息のあらい人だ」と思ったことをわずかに記憶している。


 要するに、いま思えばすごい先生たちを、僕はまったくそれに気づかずスルーしてしまったわけだ。舛添さんのゼミに出ていたら、どうだったのかな。きっと、「なんだか鼻息のあらい人だ」と思って、すごすごと退散してしまったような気がする。いやはや。


 そんなぼんやりした僕が、何となく「いいなあ」と思った先生が二人いる。一人は社会思想史の城塚登さん。たしか半年かけてヘーゲルマルクスの『経哲草稿』の話をしていたように記憶している。でも、僕は「いいなあ」と思ったのだ。それから西洋史の西川正雄さん。夏休みの課題で、丸山眞男の『現代政治の思想と行動』が出て、「難しくて読めないなあ」と思ったのと、夏の暑い時期でも絶対背広の上着を脱がず、汗をぼたぼた流していてそのお姿をよく覚えている。


 うすぼんやりした僕にとって、この二人の先生が、何となく学問の出発点になったような気がする。舛添さんとは結局、縁がなかった。