二つの連載を終えて

 この3月で二つの連載が終了した。講談社のPR誌『本』と、朝日新聞の『政治時評』である。


 前者は毎月、原稿用紙400字詰めを16枚である。なかなか書きでのある分量であるが、ペースをつかむまでは毎月何を書いていいのか迷うことが多かった。はじめは政治の原理論的な考察を、と力んだが、担当編集者さんに「ちょっとむずかしいですね、、、」と言われ、方針転換。そもそも、そんな話を毎月やるほどの準備は自分にはなかった。この間にアメリカに行ったことがあり、アメリカ政治時評&アメリカ思想家エッセーが中心になった。この枚数だと、調子にのると一気に書ける。ときに隠岐の島の海士町の話になるなど脱線もあったが、楽しかった。


 後者は時評といいつつ、インタビュー形式をとることになった。これも話をもらったのはアメリカにいるときで、日本から電話をもらったときも、どうもぴんと来なかった。「政治家にインタビュー?」。脳裏に浮かんだのは中曽根さんで、思わず腰が引けてしまった(引けるよね?)。「僕にはできませんよ〜」と答えると、「いや、相手は学者さんでもいいです」というので、「それならやれるかな」と思った。


 インタビューのお相手は、朝日新聞記者のYさんと毎回相談して決めた。僕の方から提案した方もいれば、Yさん提案企画もあった。まあ、多くの場合、二人で雑談しているうちに、「この人にお願いしよう」と自然に決まることが多かった。自分の指導教員のS先生と、職場の同僚のGさんという「内輪」の方に早々にお願いしてしまったため、ほとんどの回は、初めてお会いする方であった。12月まで女性がいなかったのと、1月になるまですべて自分の年上だったのが、ちょっと残念であったが、最終回に女性&自分より若い方をお招きできたので、少し挽回した気分。


 我ながらインタビュワーとしてはそれなりの仕事をした気がするが、途中からほとんど単なる聞き手状態。いや、僕だってそれなりに話しているのだが、Yさんが紙面に拾ってくれないのである。まあ、年がら年中彼とはおしゃべりしていたので、「その話は前に聞いたなあ〜」状態であったのだろう。実際、ほとんど聞いていただけの回もあったし。


 いずれにせよいい経験であった。こういう企画がなければ、一生お話しすることがなかったであろう方ともお会いできた。好きなことをそれなりのスペースをとって書かせてもらうというのも、ありがたかった。また同じことをやれ、と言われると「え〜」ではあるが、まあ、ともかく得難い経験であったと思う。終わってみて、ほっとすると同時に、ちょっとさびしい気もしている。