アメリカ政治学会

 ワシントンから戻った。ほんとうは学会は土日まであるのだけど、Satoのnursery schoolのイベントがあるので帰ってきたのだ。それでも、なかなか充実した学会体験だった。


 アメリカ政治学会というと、その規模の大きさで有名だ。よく耳にするのが、プログラムだけで電話帳のように分厚いという話だ。さすがに電話帳ほどはなかったけど、たしかに分厚いことは分厚い。三つの大型ホテルを使い、一つの時間帯に同時に何十もの分科会が開かれる。というわけで、以下に僕が出たセッションのことを書くが、かなり偏ったサンプルだな、やはり。


 最初に出たのはトクヴィルのセッション。この大会中にトクヴィルものはもう一つあるのだが、こちらの方が僕にはなじみのメンバー。Cheryl Welch、Jeremy Jenningsなど、この方面ではなかなかの顔ぶれ。

De Tocqueville (Founders of Modern Political and Social Thought)

De Tocqueville (Founders of Modern Political and Social Thought)

Tocqueville on America after 1840: Letters and Other Writings

Tocqueville on America after 1840: Letters and Other Writings

Welchの「トクヴィルは必ずしも大きな政府を評価していないわけではない」という発言が新鮮。


 次に出たのが、世俗主義をめぐるセッション。現在、僕がもっとも関心をもっているテーマ。Talal Asadという、このテーマでいま一番ホットな人物が参加している。これは見ないと。しかも相方はなんと、William Connolly。

世俗の形成――キリスト教、イスラム、近代

世俗の形成――キリスト教、イスラム、近代

Why I Am Not a Secularist

Why I Am Not a Secularist

Charles Taylorもいたらもっと面白かったのに、と思わないでもないけど。


 三番目に出たのは「政治と時間Tempolarity」というテーマのセッション。題名に引かれて出たのだが、これは若手の研究者が中心。う〜む、僕もいつかこういうテーマで研究したいと思っていたようなことが、すでに結構論じられている。心強くもあり、やられたという気もする。しかも聞いていると、Claude LefortやPierre Rosanvallonの名前が出てくる。う〜む、この人たちもフランス派か?それにしても丸山のファシズム分析における時間の問題を論じるアメリカ人研究者がいることにびっくり。


 最後に出たのが、Public Reasonをめぐる分科会。Stephen Macedoを中心に、彼の枠組みについて若手の研究者がああだこうだ言うもの。

Diversity and Distrust: Civic Education in a Multicultural Democracy

Diversity and Distrust: Civic Education in a Multicultural Democracy

自分への批判を聞いてにやりと笑うMacedoは、いささか我が日本のI上T夫先生に似ていなくもない。かっこいい。


 アメリカ政治学会というと政治理論系は弱い印象があったが、なかなかそうでもない。僕にとっては刺激的なセッションが続き、とても面白かった。何人かの先生には挨拶をし、今後研究室を訪ねる約束もできたし、まあ良かった良かったで、家路についたのだった。