論文の書き方

 英文雑誌の編集委員会に加わっている話については、前にも書いた。これに参加していることのメリットの一つは、なるほど英語の論文というのは、こういう風に書くのだな、ということがわかってきたことだ。いや、もちろん、この委員会に入る前から、英語の論文をたくさん読んできた(し、自分でもそれなりに書いてきたのではある)が、なんというか、ある程度有名な研究者が、形式性にさほどこだわらず書いた論文を読むことが中心だった。それに対し、この編集委員会で読む論文は、超有名人というよりは中堅・若手の研究者が、査読付きジャーナルに自分の論文をのせることを目的に投稿してきた論文である。その分、フォーマットにきわめて忠実に論文を書いている。まあ、分野にもよるが、自分の専門である思想史系ですら、やはりフォーマット化は著しい。


 もちろん論文の評価基準はいつの時代であれ、それほど変化するものではない。問題意識が独創的で興味深いものであること、それを論証するための資料やデータがしっかりとしたものであること、概念の定義や議論の構成がきちんとしていて論旨に破綻がないこと、などがそれである。しかし、これらのポイントを明快すぎるくらい明快に示さないといけないのだなあ、と、この委員会での経験から学んだ。そうでないと、肝心の内容を評価してもらう以前に形式性ではねられてしまう恐れがあるからだ。


 もちろん、そういうフォーマットを学んだからといって、それ通りに書けるわけではない。また、そもそも思想史系の論文の場合、過度のフォーマット化がそれ自体として望ましいかは微妙である。ただまあ、僕自身、論文の書き方について、さらに自覚する必要があるなあ、と思った次第である。