本の選別

 研究室の引っ越しを来週に控え、退避先に持って行く本と、段ボールに入れ、これから一年倉庫にしまってしまう本の選別をしている。持っていける本は、全体の半分にも満たない。一つ間違えると、一年間取り出せないのだから、判断が難しい。


 いやみなのか、本当にそう思われているのかわからないけれど、「思想研究者はいいよね。頭さえあれば、資料がなくても書けるんだから」とよく言われる。


 そんなことはない。だいたい記憶力のめっきり減退してきた僕は、「これはいいことを思いついた!」と思った5分後に、「はて、何を思いついたんだっけ?」となる。メモも資料もなしに、パソコンの前にすわったって、ぼーぜんとして何も書けない。


 論文を書くとなると、まずやるのは、関係しそうな本をピックアップして来て、並べてみることである。それらをあれこれ読んで行くことで、次第に構想が見えてくる。やっぱり、本というブツは重要なのだ。


 ともかく、そういったわけで、本を選別していると、それはそれでなかなか意義があることに気づいた。「自分は、この本をこれから一年の間に読むことがあるだろうか」と思って仕分けをしていくと、今の自分にとって大切な本と、そうでない本とが、自ずから見えてくるのだ。そうして書架を一周してみると、これから一年間の「読むべき本リスト」ができあがる。これらをすべて読むことなど到底無理なのだが、それはそれとして、頭の整理にはなる。


 うんと選別した本に囲まれて一年を過ごすのも悪くない。


 あ、そう書いたからって、退避先の本棚を見に来ないでほしい。なんだか頭のなかを見られているようで恥ずかしいし、まして、本棚を見て、「俺の本が入っていない。大切と思っていないんだな!」なんて文句は言わないでほしいなあ。いや、あまりに熟読しすぎて、これから一年は読む必要ないってこともあるし。