街の本屋
僕は毎日、本屋に行く。2軒、3軒、はしごすることも多い。妻に呆れられほどAmazonでも本を買っているのだが、それでも本屋に行ってしまう。家の周りの本屋、大学の生協書籍部、通りすがりの本屋、などなど。やはり、本屋の魅力は、自分が考えてもいなかったことをアピールしてくる本との出会いである。それぞれに考えて本を並べている本屋に行くと、何かしら発見があるものだ。
とはいえ、本屋の経営は苦しくなるばかりだ。「不況時は本屋」ともいうが、今や本屋も持ちこたえるのが難しい。町の本屋だけでなく、駅ビルの大型書店もAmazonなどのネット書店によって、相当利益を奪われているようだ。
紀伊国屋の新宿南店が事実上、閉鎖になるという報を耳にした。この書店、自分の新婚時代によく通ったことを思い出す。まあ、結婚したと言っても、あの頃は暇だった。やることがないと夫婦して、この書店に出かけたものだ。最近は、住むところが変わって、あまり行かなくなっていたところで、撤退の話を耳にした。
数日前、同じ紀伊国屋の大手町店に行って驚いた。店をすっかりリニューアルし、かなりシックな雰囲気に改装したようだ。それ自体は歓迎したいのだが、お店をぐるっと回ってみて、文具やらDVDのコーナーが増えたのに比して、本の品揃え自体は、それほど充実したのか微妙なとこであるという印象を受けた。どうやら大型書店も経営が難しいようだ。
そして今日。大学のある町の本屋が閉店した。この町には幾つか本屋があったのだが、一つまたひとつと店じまいして、一店だけ残っていたものだ。数年前にリニューアルし、ラノベとかそっち系の趣味本のコーナーを増やし、危うさを感じていたが、ついに閉店になってしまった。
張り紙を見て、帰りがけについお店に行ってしまった。一冊、ともかく本を手にとって、カウンターに並んだ。「お店、閉まってしまうんですか」「これまでお疲れさまでした」というような会話を店主と交わす。そばにいた年配のお客さんが、「この町から本屋がなくなってしまうんだよね」と嘆く。ともかく残念だ。この本屋には学生時代から通ったので、もう30年近い付き合いになる。これといって特徴のある本屋ではなかったが、帰りがけに読む本を買うのにちょうどいい店だった。とっても、残念。
これから僕らは、身の回りに本屋のないのが当たり前の社会で生きていくんだろうな。それって、とても寂しいことだと思うけど、仕方ないのかな(ネット書店で買わなければ、と思うけど、やっぱり買ってしまう)。本屋という素敵な空間のない社会を僕らは生きていかなければならないのだろうか。
教員であること
僕は大学教員の仲間のなかでは、やや特殊な事例に属する。というのも、僕が所属するのは大学に付属する研究所、プロパーの学生さんのいない、建前的にいえば、研究に専念するのが義務の機関である。
もちろん、実際には、学生さんとの接触は多い。非常勤で教える大学は別にしても、大学院では他の組織、僕の場合でいえば、法学政治学研究科で恒常的に演習を担当している。指導教員をつとめ、これまでに5名以上の博士号取得者の指導教員の任をはたしてきた(結構、自慢である)。それ以外にも、教養課程で政治学の入門講義を担当したり、各種導入的講義を担当してきた。
最近、けっこう充実感を感じているのが、教養課程の「全学自由研究ゼミナール」や「全学体験ゼミナール」である。これは特定のテーマで(例えば、「希望学」とか「災害の政治学」など)で演習を開講したり、最近やっているのは「オープンガバメント」の体験ゼミである。これは大学の1、2年生のみなさんを対象に、地域の発展について具体的な提案をしてもらうゼミである。現地にも行き、データも調べてもらい、最終的にプレゼンもしてもらう(今年は、現地で、住民のみなさまを前にやってもらった)。
これをやっているとはらはらすることが多い。やはり、大学の1、2年生である。高校生に毛がはえたレベルの学生さんに、なかなか地域社会の実情を理解してもらい、具体的提案をしてもらうのは難しい。それでも、この年代の若い人はすごい、と思うのは、短期間にかなりの成長を見せるということだ。今年もそうで、直前までどうなることやらと思っていたら、なかなかどうして、立派な報告をしてくれた。こういう学生さんを目にすると、まあ、教員というのも悪くない職業だと実感する。
若い人を育てたい、とは言わない。彼ら、彼女らが、ぐんぐん育って行くのを少しでも手助けしたい、それを見ていたい。とりあえず、側にいて、一緒に面白いことをやりたい。
といっても、プロパーの学生さんのいない組織はいつも、ちょっとさびしい。来年、自分がどんな学生さんと一緒になるのか、ぎりぎりまでわからない。まあ、これで当分いくしかないなあ、と思いつつ、ともかく一期一会でがんばっていくしかない。大学院演習を含め、今年もうれしい出会いがたくさんあった。教員稼業の楽しさを、いま、自分なりに感じている。
これから僕の本を読んでくれる人に
これから僕の本を読んでくれる人に。
もし、万が一だけだけど、僕の本に関心をもってくれる人がいたら、次のことを伝えたい。最初に、どれか一冊を読むとしたら、どの本を読むべきか。
まあ、高校の現代文や大学入試を思えば、『<私>時代のデモクラシー』(岩波新書)かな。政治思想史を研究してきた人間が、現代社会をどう捉えるか。チャレンジして書いた本だ。けっこう小難しいことも書いているけど、じっくり読めば、おおよその主張はわかるはずだ。「私らしさ」とか「自分らしくあること」について考えたことのある人なら、考える材料になるはず。
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じゃあ、実際に何をすればいいのか。民主主義といってもねえ、と迷う人には、『民主主義のつくり方』(筑摩選書)。アメリカのプラグマティズムの影響を受けて書いた本だ。プラグマティズムとは、けっして結果が良ければそれでいい、という安易な思想ではない。見通しの悪い時代に、それでも自分のすぐ身近なところから、何かを始めたいという人に奨めたい本だ。
- 作者: 宇野重規
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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もし、そこから、じっくり西洋政治思想史を学びたいと思ってくれたなら、ぜひ読んで欲しいのが、『西洋政治思想史』(有斐閣アルマ)。自分でいうのも何だけど、いまどき、一人の人間が書いた通史は珍しい。過去のすごい思想家たちが、何を考えてきたのか。僕らが受け継ぐとすれば、何なのか。きっと前に進むための材料を与えてくれるはずだ。
- 作者: 宇野重規
- 出版社/メーカー: 有斐閣
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さて、問題はその次だな。じっくり政治思想史とか政治哲学を学びたいという人に、何を奨めるか。やはり、僕はトクヴィル研究者なので、トクヴィルという思想家について知ってもらいたい。僕はこの人が、とても好きだ。まじめで、繊細で、迷いながらも、今の僕らがはっとすることを書く。伝記的事実を含め、とっつきやすいのは『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)。
- 作者: 宇野重規
- 出版社/メーカー: 講談社
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政治理論ということで、もっと踏み込んでトクヴィルを考えたいという人には、『デモクラシーを生きる』(創文社)。けっして読みやすい本ではないけど、僕が最初に書いた出発の作品。読んでもらえたら、うれしい。
デモクラシーを生きる―トクヴィルにおける政治の再発見 (創文社現代自由学芸叢書)
- 作者: 宇野重規
- 出版社/メーカー: 創文社
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さて、僕はフランスの現代政治哲学に関心がある。フランスといえば、フーコーやデリダを思い浮かべる人が多いかもしれないけど、フランスで、今一番面白いのは政治哲学。たぶん、みんな知らない理論家がたくさん出て来る本だけど、『政治哲学へー現代フランスとの対話』(東大出版会)は、フランス政治哲学の今を知るためには、絶好の一冊だと思う。
- 作者: 宇野重規
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その後、僕はトクヴィルやら政治哲学やらを考えつつ、現代日本社会の方に、関心が移っていった気がする。公共性や「政治的なもの」から、人と人のつながり、格差や労働、そして「社会的なもの」へ。そんな僕の、一番の理論的関心の推移を示すのが、近著『政治哲学的考察ーリベラルとソーシャルの間』(岩波書店)。まあ、論文集だから、けっして読みやすい本ではない。でも、僕が一番、真剣勝負した論文を集めたものだ。そこから何かを汲み取ってくれる読者がいたら、とてもうれしい。
- 作者: 宇野重規
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最後に間もなく出る『保守主義とは何か』(中公新書)。これはまさに、僕が現代日本社会に向けて投げかける「問題提起の書」だ。いま、世の中にあふれる保守主義は本当に保守主義なのか。もし仮に、保守主義という知的遺産があるとすれば、それは何か。誰もが入りやすいテーマとは思わないけど、「何かを守っていきたい」と思う人に読んで欲しい一冊だ。
保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)
- 作者: 宇野重規
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教師業
ここだけの話だが、僕はどうも教師業がしっくりこない。
やはり先生というのは、底なしに人間好きで、深情けであろうと、若い学生さんにコミットできる人が望ましいと思っている。教師は技量より、人柄が大切ではないか。いまでもそう考えることが多い。
その点でいうと、自分はだめだ。子どもの頃から、どうも動物が苦手だった。かわいがったり、育てたりするのが不得意で、自分のコンプレックスにもつながった。「俺って、やっぱり、優しくないんだよな」といつも思っていた。小さい子の相手をすると、張り切って一生懸命がんばる分、あとでどっと疲れが出た。
それでも、若い頃は、学生さんと年齢が近いということで何とかなった。感覚の近さで共感を得ることもできた。いま思えば、勢いでごまかしていたのかもしれない。
ある時期から、「勢いでは何ともならないなあ」と感じるようになった。ちょうどその頃、自身の子どもをもった。「いや、難しいな」と思う方が多かったけど。まあ、それでも、自分を振り返るきっかけにはなった。そうして時が過ぎた。
いまでは、あらためて、学生さんのことを「かわいい」と思えるようになった(例外もあるが)。ある意味、自分の子どもの世代が多くなったということかもしれない。ともかく、何となく、気持ちが自然に通えるようになった気がする。単なる勘違いかもしれないけど。
結局、いつの時代も、若い人たちは変わらないと思う。どこまで寄り添って、それでもきちんと言うべきところは言えるか。問われているのは、いつも大人の覚悟だ。
こちらのメッセージが伝わったと思う瞬間は、やはり格別である。それでも、「伝わるものは伝わる、それでも難しい部分もある」。何となく、覚悟が定まってきた気がする。気持ちが少しでも通じあうように感じられるここ数年。ここいらでがんばるしかない。教師としての重要な時期なのかもしれない。
論文集
自分の論文集を出すことになった。正直いって、そのときどきの依頼で書いた論文ばかりである。まとめたところで、本になるのかなあ〜と、結構不安であった。
そもそも、僕はものもちが悪い。過去の論文といっても、自分が何を書いてきたのか、そのデータはどこにあるのか、さっぱりわからない。所属先は、毎年、業績の一覧をかなり厳格に調べるところなので、幸いなことに、自分が何を書いてきたのか、書誌情報だけは、わかる。とはいえ、そのどれを探しても、どこにそのデータがあるのか、かなり怪しいのだ。
やはり、自分はネット時代の人間だと思う。パソコンには、過去の論文のデータなど、どこに残っているか、さっぱりぱりわからない。それでも、G-mailなどを調べてみると、少しずつ、論文が出てくる。そういうのを拾い集めて、なんとか一冊の論文集になるよう、がんばった。
そうやって、発掘した論文を読み出すと、やはり頭が痛い。註の付け方(昔の論文は思想史風で、最近の論文は社会学風である)がそもそも違うし、それ以外にも不統一な部分が目立つ。何より、昔自分の書いた文章が、今の目からみると、かなり読みにくい。「ああ、だったら、全部書き直す」と言いたくなるが、仕方ない。それから、同じようなネタを何度も繰り返している。それぞれの論文には必要なのだろうけど、一冊の論文集となると、重複はやはり目障りだ。
それでも、過去の論文を適宜、配列換えし、いろいろ手を入れてみると、自分なりにけっこう面白い。自分はこんな仕事をしてきたのだと、思うところもある。この論文集を通しで読んでくれる読者はどれだけいるのだろうか。
いろいろ楽しみである。
とある記憶
何と言うか、いまさら何を書いても、自己正当化というか、自己弁明にしかならない気がするのだけど、それでもとりあえず書いておく。友人Kの最期の話である。
友人Kは大学のサークルの一年後輩で、その後、別の国際交流団体でも一緒になった。彼は僕のことを終始一貫、ファーストネームで呼んだが、僕的には(いちおう、俺の方が先輩なんだけどね)といつも思っていた。まあ、今となってはどうでもいいんだけれど。
友人Kはがんばって、とある公務員試験に合格した。僕は彼が某国の古き伝統ある大学に留学中、遊びに行ったことだけ覚えている。ひどく古い宿舎で、彼の部屋もなんだか、傾いている気がしたけど、彼がその大学の卒業式のガウンをうれしそうに見せてくれたことを何となく思い出す。
その後の彼のことはあまり知らない。ある時期、ちょっとだけ頻々と会うことがあったけど、その後は音沙汰無しに戻った。まあ、しつこいくらいFacebookに投稿する人だったので、その近況はいつもフォローはしていたけど。
彼が外国にいた頃の話である。がんになったという報に接した。臓器の全摘が必要ということで、かなり深刻な状況であることがわかった。連絡をとったが、笑顔の絵文字だけ、レスポンスがあった。まあ、そういうことなのだろうと思うしかなかった。
その後、一年程、ネット上でのやりとりが続いた。彼の書く記事はいつも明るく、なんとかく、彼はこのまま病気とともに生き続けるのではないか、そんな気がするようになった。
でも、昨年の秋頃、腹水の話が多く出るようになった。かなり悪いのだろうな、ということはわかった。それでも、僕は特別の行動に出なかった。今から思えば、恐かったのだと思う。直接会って、何といえばいいのか、わからなかった。結局、そのままときが流れた。
Facebookで、彼が故郷の町に戻るという記事が出た。もう、病院での処置のしようがなく、終末ケアに入るのだろうな、ということが想像できた。それでも、僕は彼のところに行かなかった。サークルの後輩が病室を訪ね、それを彼が喜んでいる記事も目にしても、「良かったね」と思いつつ、結局、自分は会いに行けなかった。
彼が故郷の町になんとか戻り、ケアの病棟に入った記事が出た。僕は「いいね」のボタンを押すだけで、やはり何のアクションもとらなかった。彼の書き込み記事をみると、相変わらず明るく、病気からの回復後の話を書いていた。ひょっとしたら、この人は病気を克服し、なんとか生き続けるのかもしれない、そんな気も一瞬した。
でもやはり、彼の書き込むは減っていった。文章の記事がなくなり、いろいろな記事の紹介だけになった。もう、自分で文章を書くのは難しいのだろうな、そう思った。やがて、紹介記事すら更新がなくなった。一日、二日、三日、、、もう難しいかもしれない、そう思った。
僕は年に1回か2回しか風邪を引かない。それでも、よく12月頃に、疲れがたまって、熱を出す。そんな日のことだ。夢に彼が出てきた。なにか、言ってくれると良かったのだけど、残念ながら、何も覚えていない。ただ、熱でふと起きた際に、「今朝、Kが死んだんだろう」、ふとそう思った。それでもFacebookを見ると、特段の更新がない。再び、布団に入った。
昼頃だろうか、ふと目が覚めて、PCを立ち上げた。とある友人から、Facebookを見ろとメッセージがあった。見たら、彼の妹さんが、お兄さんの死去について書いてあった。「やはり」と思った。
急に、世俗的になるのが、悲しい性である。とりあえず、花を送らないといけない、そう思った。ネットで手続きをしつつ、なんだかいやな感じだなと感じた。でも、手続きをした。みんなに連絡もした。ビジネスライクだな、そう思いつつ、またふとんに戻った。
葬式はつつがなく行われたようだった。遠い場所だし、熱があるし、と僕は見送った。それでも、そのあと、自ら出向いてお別れしなかったことを、後悔することになる。まあ、人生いつも、覆水盆になんとか、という話である。
その後、葬式の話を何度か耳にした。あれで良かったのか、いつもそう思う。いまだ、答えはわからない。自分に何ができたのか、後ろめたい気がする。あのとき、直接会っていたら、何と言っていたのか。いまでも自信がない。
ああすればよかった、でも、どうしたら本当によかったのか、やはりわからない。そんな毎日を過ごしている。
ハーヴァード大学
ハーヴァード大学に出張した。この大学に行くのは3度目だと思う。ペーパーを読む機会を与えられたのははじめてではないか。
しかし、今回僕は、大平正芳の研究会を中心に、現代日本政治の転換点を論じた。これはこれで、僕としては大切なテーマであり、けっこう反響もあったので、その限りでは悪くない(というか、ありがたい)出張だった。
とはいえ、僕が外から声をかけてもらうのは、フランスであれ、アメリカであれ、日本関連であることが微妙な気分をもたらす。まあ、なかなかトクヴィル研究者として声をかけてもらうのは難しいのだ。今回も、大平をトクヴィル主義者として読む点にポイントがあったので、それなりにトクヴィル研究者の意地をみせたつもりだけど、どんなものだったろうか。
今回、ハーヴァードの日本研究者のみなさまとお話できたのは良かったと思う、ただ、飲み会を含め、深い話をできたなあと思うのは、日本人研究者が多かった気がするのはどうなのか。結局、日本を出ても、日本人とつるんでいると自己批判すべきか、あるいは在外だからこそ、日本人研究者と深い話をできたとするべきか。
声をかけてもらえる限り、あるいはそうでなくなっても、ペーパーを読みに、出張したい。ここで踏ん張らないと、とあらためて実感した。