イタリア政治哲学

 パリに住んでいたころ、いろいろな人の講演会や講義によく出かけた。やれハーバーマスだ、デリダだ、テイラーだとミーハーではあるが、せっせとかよった。それに比べると、イサカにいても、あまり有名人はこないしなあ、、、なんて思っていたところ、こんな研究会の案内が回ってきた。

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 う〜ん、時代はイタリア政治哲学か。なかなかの企画だなあ。アガンベンこそいないものの、ネグリエスポジト、、、イタリア人じゃないけど、マイケル・ハートもいる。これだけのメンバーをそろえるとは、さすがである。


 時間の関係でネグリエスポジトの講演しか聞けなかったけど、なかなか面白かった。実はネグリはテレビ電話参加で、今回も本人を直接目にする機会を失したが、「発展(development)」に対する「生産(production)」を擁護し、グローバル資本主義によって搾取されているわれわれの「コモンズ」を取り戻せ、というアジり方は、さすがに迫力がある。


 エスポジトはお得意の「コミュニタース」、「イミュニタース」、「ビオス」の三題噺。ディスカッションでは、いろいろ嫌みを言われていたが、やはりなかなか聞きごたえがあった。

近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)

近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)


 いいにつけ悪いにつけマルクス主義の伝統の強いイタリアの政治哲学。今後はわからないが、いまの段階ではフランスよりも元気かもしれない。