丸山真男と藤田省三

 日本を出発するとき、手荷物便に入れた本のセレクションは、かなり適当であった。ともかく時間がなくて、とりあえず目の前にある本を入れるという感じであった。そのときに入れた本のなかに、平凡社ライブラリーから出たばかりの丸山真男藤田省三のセレクションがある。おかげでじっくり読めたが、日本にいたらどうだったか。


 そういえば、前にフランスに行った際には、丸山真男著作集を読んだことを思い出す。フランスとは何の関係もないが、やはり日本にいたら、著作集を最初から最後までじっくり読むことはなかったろう。これも留学の成果なのだ。


 『丸山真男セレクション』はすらすらと楽しく読んだ。採録された文章のセレクションについてはいろいろ意見があるだろうが、とりあえず僕としては「福沢諭吉の哲学」と「政治的判断」が入っているのがいいと思う(まあ、当然の選択ではあろうが)。今回は後ろの方から読み始め、最後に「超国家主義者の論理と心理」や「軍国支配者の精神形態」を読んだ。この辺りはいま読むとだいぶ違和感もあるのでは、と予想したが、じっくり読むといまでも考えさせられる論文である。


 藤田省三というと、『精神史的考察』は愛読書だが、それ以外は正直なところ、これまでちゃんと読んできたとは言いがたい。このセレクションのおかげで、より長いスパンで藤田の仕事を振り返ることができのは、ありがたいと思う。福本和夫と「転向」の問題を扱った「理論人の形成」は勉強になったし(とくに前半)、「維新の精神」はいつ読んでも知的興奮を感じる。


 でも、今回のセレクションで一番面白かったのは、実はやはり「松陰の精神史的意味に関する一考察」。いや、藤田という人が一番共感していたのは、松陰であったことがよくわかる。かとって、彼の著作そのものへの共感というより、彼の生き方への共感と言おうか。いつも大まじめで至って誠実だけど、実践的には失敗ばかりの松陰。しかしながら規範の崩壊した時代において、松陰は自らの挫折を通じて、時代を精神的に体現し、最終的には新たな時代の思想を準備した。おそらく藤田はどこか松陰のうちにいまを生きる自分を仮託していたように思える。ふ〜ん、藤田ってこういう人だったのか、というのが収穫。