宇野弘蔵

 僕の職場は、伝統的にはマルクス経済学の強固な牙城であり、とくに宇野弘蔵の知的影響力の大きい、宇野派の総本山的な研究機関であった。ところが、いまでは、宇野の話を耳にすることはほとんどない。せいぜいベテラン教授と飲んでいるときに、ふとしたはずみに名前が出てくるくらいである。


 正直なところ、僕自身、宇野弘蔵についてはほとんど知らなかった。ところが、最近、アンドリュー・バーシェイ、柄谷行人佐藤優といった人たちの本を読むにつれ、これは一度きちんと押さえておかなければならないな、という気がしてきた。


 さっそく宇野の『経済原論』や『経済政策論』を読んでみたのだが、いかんせん、悲しいことに、マル経の基礎教養の欠如ゆえに、よくわからない部分も多い。しかしながら、この宇野という人は、きわめて図式的な人であり、その限りにおいては明快な人なので、話の筋を追うこと自体は意外に難しくない。ふ〜んと、かなり遅ればせに、お勉強をした。


 柄谷や佐藤の本を読んでから宇野の本を読んだせいか、どうしても彼らの読みに影響されてしまう。そして、もし彼らの読みが正しいとすれば、柄谷や佐藤の議論というのは、かなり程度、宇野理論の影響下にあることになる。あるいはむしろ、彼らは、自らの議論の理論的先駆者として意図的に宇野に言及し、そこから系譜作りをしていると考えるべきなのかもしれない。


 「今こそ、マルクス」というかけ声をあげる人は多いが、宇野経由マルクス、という知的伝統の現代的意味を、多少はまじめに考える必要があると感じている。