ある土曜日

 今日は午後から研究会。せめて、ということで、午前中懸案にとりかかる。Daichiの自転車を、補助輪をはずして運転する練習を行ったのだ。


 聞いてみると、同級生の男の子のかなりの割合が、すでに補助輪なしで自転車をこげるようになっている。これはやばい、ということで、練習にとりかかる。


 僕も父親に練習してもらったことを思い出す。友達に聞いても、「そういえば父親に教わった」という話が次々に出てくる。やはり自転車の練習は、伝統的に父親の仕事らしい。


 ひゃあ、それにしても、ふらふら迷走する自転車を支えるのは一苦労である。好天の下、汗だくになって練習する。


 午後は一転、重厚な雰囲気のなかの研究会。日銀前総裁の福井俊彦さんがスピーカーである。


 正直なところ、経済金融政策の中身について、どれだけ理解したか心もとない。それでも「金融資本主義が(実体経済と離れ)それ自体として自己完結したシステムであるか疑わしい」、「(岩井克人のいうように)貨幣は貨幣でしかない。しかしその貨幣が無限の投機の対象となる」、「経済の文化的背景を軽視してはならない。しかしながら、イスラム経済やイスラム金融も、けっして市場経済の論理と異質なものではない」などという指摘ははっとするものがあった。


 福井さんは、「泥水をすするような実務家」と自己規定しつつ、その話はきわめて理念的であった。それは一つのポーズだったのかもしれないが、「こういう人が日本の金融政策の中枢にいるのか」と、それなりに強い印象を受けたのであった。