文章作法

 今日、ある人との会話のなかで、文章作法の話になった。考えてみると、このブログをはじめたのも、少しは文章が上手になれば、という願いからだった。で、4年たって、この文章かよ、というツッコミはなしということで、、、


 まあ、よほどの達人でないかぎり、一つの文は短い方が読みやすい、とはよく言われることだ。その点からいえば、かつて蓮実重彦が一頁で一文、というすごい文章を書いていたが、あれも彼の自信のなせるわざだろう。


 問題は、じゃあ、短ければいいのか、ということだ。しかし、ただ短いだけで、ぷつぷつ切れの文が続くと、これまた読みにくい。文と文の論理関係もよくわからない。


 文と文の論理関係を示すためには、接続詞を使えばいいのだが、経験からいって、日本語の文章で接続詞をあまりに頻用するとうるさくなる。フランスから帰った直後、順接・逆接、原因・結果など、かなり接続詞を意識して文を書いたところ、人からかえって読みにくいと言われた。難しいところである。結論からいえば、日本語の場合(西洋語でも結局は同じかもしれないが)、接続詞よりもむしろ、文章の流れで、論理関係を表現した方がいいようだ。


 これもよく指摘されることだが、日本語は文末のバリエーションに乏しい。「だ・である」調とよくいうが、論文風の文章では「だ」は、使いにくい。といって、「である・である・である・・・」が続く文章は、呪文のようで、読んでいて頭がくらくらする。過去形についても、「た、た、た、した、した、した、、、」は、どう見ても単調である。日本語の場合、過去のことであっても、時々は現在形を交えないと、文章がおかしくなってしまう。


 一文一文は短いが、文と文とがリズミカルにつながり、ロジックがすっと頭に入ってくる文章。文末がそろわず、読んでいて飽きさせない文章。まあ、そういうあたりが目指すべき文章なのだが、これがなかなか難しい(←体言止めも使いすぎると、稚拙になる)。


 もっと修行しよう。