教育の政治哲学

 若手フランス研究者の読書会。いつも書いているが、参加者のレベルが高い。専門も違うし、興味関心も多様である。それでも、いろんな研究をしている人たちが、少しずつ踏み込んでいくことで、議論が深まっていく。今日の議論では、なんといってもフランスにおける教育をめぐる政治哲学の話がおもしろかった。


 フランスにおける教育をめぐる政治的理念といえば、やはりいかによき共和国の市民を作り出すか、にある。そのためには、国家は親の支配から子供を引き離すことを躊躇しない。教育は子供の権利であり、親といえどもそれを阻むことは出来ない。


 これに対し、アメリカでは、キリスト教原理主義的な親が、子供が学校で進化論の教育を受けることを拒絶する事例をよく耳にする。興味深いことに、そのような親の主張は、教育の自由の名の下になされる。宗教的理由により、子供が学校で受ける教育内容に親が口だしし、それが教育の自由の名の下に正当化されるという事態は、フランスでは考えにくいだろう。


 フランスの場合、「教育の権利」とは親の支配から子供の教育を受ける機会を守ることを意味するのに対し、アメリカの場合、「教育の自由」とは、親が自らの子供の受ける教育に対して発言権を持つことを指す。


 面白いコントラストだと思う。