外国語

 昨日も書いた通り、移動時間中はi-Podで英語の勉強をしている。で、ゼミはドイツ語であり、ここのところ懸案のフランス語の翻訳をやっている。一日のなかで、英語・ドイツ語・フランス語を使い分けているわけで、一瞬、「これって、すごい!?」などと思ってしまう。


 でも、英語はあいかわらずもたもたしかしゃべれないし、ドイツ語を読むのは難しいし(ヘーゲルが難しいという話もあるが)、フランス語の翻訳者としての自分の能力にはほとんど絶望している。というわけで、結局、どの言語も胸をはってできるとは言えないまま、自分の一生は終わるのだ、と暗い気持ちになる。


 僕の先生たちには、英独仏はもちろん、ラテン語古代ギリシア語、さらにはオランダ語までできる人がいた。S先生は、他の仕事(ちなみに現代日本政治の研究だった)の合間に、トマス・アクィナスの『神学大全』を読んでいたし、W先生はコンパの席で、参加している外国人学生の言語すべてであいさつをした(中国語、ハングル、ロシア語、フランス語、英語、オランダ語)。まあ、そういう人たちもいるのだ。


 僕自身、この分野に進んでくる学生さんに、「英語、フランス語、ドイツ語の他にもう一つ二つできた方がいいね」などとえらそーに言っているので、泣き言は言えない。


 この文章、なんだか卑下と自慢の間を揺れ動いているような気がするけど、どちらかというと、ためいきをつきながら読んでもらうと、実情に即していると思う。