信仰心

 恥ずかしながら、これまでとくに深く宗教について考えたことはない。キリスト教にも、仏教にも、儒教にも、あるいは神道にも、それぞれいくぶんかの知的関心は持ったが、それ以上の信仰心は感じたことがなかった。今も、まあ、同じである。実を言えば、僕はちいさい頃、キリスト教の日曜学校に通っていたのであるし、家の元来の職業(というのか)は神主であるのだが。


 先日とりあげた田川建三について、今度は『キリスト教思想への招待』を読んだ。

キリスト教思想への招待

キリスト教思想への招待


 が、タイトルから予想される内容と異なり、歴史的なキリスト教やその関係者についてぼろくそ言っているし、宗教についても、「まあ、どうしても信じたいという方は、どうぞ」という調子である。なんだかこれだけ読むと不謹慎な感じがするが、読んでいくと、いたって真剣に現在においてキリスト教の持つ意味について考えていることがわかる。良い本である。


 今日は一日法事。禅宗のお寺であったが、はじめて般若心経を読んだ。無学な僕にも、「すべては空であり、そのことを悟れば、煩悩から救われる」というメッセージくらいはわかる。しかしまあ、なんでこのお経を読むと故人の供養になるのかは、よくわからないが。


 それを宗教と呼ぶかはともかくスピリチュアルなものが大流行の日本で、信仰心とは何なのか、ちょっとだけ考えた。