『滝山コミューン』

 

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

 原武史さんの『滝山コミューン 1974』を読む。日本各地で革新勢力の力が伸びていた頃の話である。西武線沿線のある団地における、教師、PTA、そして小学校の生徒を含む、ある種の’民主的’運動の昂揚を、そのような雰囲気に違和感を感じ続けた著者自身の記憶と記録、そして関係者への聞き取り調査、さらに関係文書の渉猟によって解明したドキュメンタリーである。


 著者と僕とは5歳ほど歳が違うわけだが、僕が小学校にいた頃の記憶を思い出すと、なるほどそうだったのかと思い当たることが多い。僕が小学校の5年のとき、新興住宅地に新しい小学校が作られ、そこに僕らも転校するかたちとなった。そこでは、きわめて’熱意’ある先生たちが集まり、意欲的な取り組みをしていた。班活動における自主的なグループ運営、各種委員会活動への参加、児童会選挙における模擬デモクラシー体験などなど。ははあ、あれは、あの頃の、一種の最新の理論に基づく’進歩的’な実践だったわけだ。


 この本の最大の特徴は、この時期の教師やPTA、そして何より子どもたちの生活や意識を、興味深く記録している点にある。この側面が、著者の歴史家としての本領を発揮している部分であるとすれば、もう一つの側面が、この時期に対する著者のぬぐいがたい違和感である。すなわち、この種の、理想主義的な教育実践に秘められた抑圧的側面に対する時間を超えての告発である。もちろん、著者はこの時期の’民主的’昂揚(これを著者は’コミューン’とさえ呼ぶ)の、正と負の両側面を見るようバランスをとっている。しかしながら、やはり読後感として残るのは、著者の、自らの少年時代とそれを囲む時代の空気に対する、なんとも言えない重苦しい感情である。


 正直なところ、僕は、自分が出会った、この時期の’熱意’ある’進歩的’な教師たちに対し、著者ほどの否定的感情を持っていない。まあ、僕はそういうタイプの教師に気に入られる’優等生’であったということだろうが。いずれにせよ、本書の後半になるにつれ強まる、著者の強烈な情念に圧倒されたというのが、感想である。