東アジア

 中国から客員教授としていらしているS先生の報告第二弾。前回は、近代西洋によって生み出された社会科学の諸概念が、現在の中国を理解するためには、不適切になっているのではないか、そうだとすれば根本的に見直す必要があるのではないか、というお話であった。今回は「東アジア」というとらえ方の意味について、お話された。


 「東アジア」とは何か。結局それは、どのように歴史の文脈において現代世界を捉えるかに依存する。儒教文化圏としての東アジア、社会主義の視点から見る東アジア、冷戦体制における東アジア、大東亜共栄圏における大東亜、ASEAN+3としての東アジア、などなど、微妙にずれる諸概念を検討しながら、S先生は「東アジア」なる概念のあやうさを説く。


 反面S先生は、「東アジア」という問題設定を立てることによって、一国の枠組みで考えてしまっては見えなくなってしまう問題を捉え、歴史に向かい合う可能性が広がることも否定しない。結局、思想史家にできることは、あくまである概念の相対的な自立性を尊重しつつ、しかしその自立性を絶えず破っていくことであると、S先生はいう。両者の間の緊張感こそが、思想史家にとって最も重要なのである、と。