文章術

 今頃何を、と言われそうだが、文章の書き方についての本を二冊読んだ。一つは清水幾太郎の『論文の書き方』(岩波新書)、もう一つは丸谷才一文章読本』(中公文庫)である。どちらも、なかなか良い本だと思った。


 思ったままに文章を書けというのは大嘘であり、文章というのはつねに先人のモデルがあって可能になるものである。その意味で文章力というのは、そのような先人の文章のモデルをどれだけ自分の中にストックし、それを適切に組み合わすことができるかにかかっている、というあたりの趣旨は同じである。また、日本語の特性に基づく作文術の難しさ、すなわち、主語と述語の関係が不安定で、かつ場合によってその間が空いてしまうため、文章の論理構造を明確にするには、一定の工夫が必要であること、その点の技巧が不十分だと、論理があいまいになり、文意が定かに取れなくなることの指摘も同じである。主張が明確で、しかも、それが読者の頭にすらすら入ってくる文章が理想だが、その習得のために外国語学習が重要なことも、共通の趣旨であろう。


 まあ、こうして要約すると当たり前な気もするが、過不足ないきちんとした文章を書くというのはむずかしいことだ。僕など、まだまだ修行の余地が大ありだ。今もゲラを読んでいて、思わずため息をついた。


 ちなみに、丸谷は、日本国憲法を翻訳調で悪文だとし、明治憲法を威厳があって良い文章だという人間のことを、こっぴどく批判している。統帥権問題なども、はったりばかりで、中身の曖昧なあの悪文のせいではないかと丸谷は言う。これも、なかなか小気味いい主張だ。