コラム

 最近、またちょっと英語学習熱が復活し、行きの電車で(東京中日スポーツではなく)「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」を読んでいく。ネットでも読めるのだけど、どうも僕は紙媒体でないと、長い英文を読む気にならない(っていうのは、言い訳だとわかっているけど)。


 やはりコラムの読み出がある。今日の記事で感心したのは、最近、いろんな政治家が口にする'existential'についての解説。ふつうに訳せば「死活的重要性のある」とか「生きるか死ぬかの」あたりになるんだろうが、文字通り哲学的に訳せば「実存的」になる。この、ある意味大仰な言葉を、最近英米の政治家がよく口にしているが('existential'な紛争、'existential'な戦争というように)、これは単に大仰という以上の意味を持つかどうか、というのが、コラムの趣旨である。


 アメリカ人にとっての戦争の意味変化(政治の選択肢としての戦争から、文字通り、自らの生存をかけた戦争へ)から始まり、キルケゴールサルトルに触れ、さらには現代人にとっての外的危機と超越的な意味を論じるこのコラム、さすがに高級紙だなあ、と感心する(要するに、この言葉を使うことに、多少の意味はあるのだ、という結論になる)。



 これだけ、ある意味哲学的、ある意味衒学的なコラム、はたして日本の新聞で可能だろうか。