「先生とわたし」を読む

 四方田犬彦の「先生とわたし」(『新潮』3月号)をようやく読んだ。かなり長いのでとばし読みだが、なんだかお腹の底が重くなるように感じた。四方田なりに、師の由良君美への複雑な思いをなんとかして自己理解しようとする誠実な文章だと思った。


 ただ、何というんだろうか、由良が<壊れて>いった原因についての分析が、僕には今ひとつ物足りなくも感じられた。出身大学の違いによる職場での孤立感、学会内部での確執、外国コンプレックス、弟子の新知識への反発、、、一つひとつとりあげてみると、よくわかる話である。いかにもありそうな話だ。が、ある意味、あまりにも<ありそうな>話過ぎるかも知れない。それらの分析が間違っていないとしても、はたして、それらが由良の<崩壊>の説明として、十分説得的なものであろうか。由良の悲劇性を真に説得的に説明しているのだろうか。どうもわからない。


 四方田もいうように、人文的な<教養>が単なるアナクロニズムとしか見なされなくなっていく時代の変容こそが、真の問題なのかもしれない。が、そのような変容のなかで由良という事例はいったいどのような位置を占めるのだろうか。そして由良の悲劇は、真に人文的な知の再構築のために、いかなる教訓を与えてくれるのだろうか。


 もう一度きちんと読み直してみたい、と思う。何とも言えない、腹の中でずしりと重い異物感が残った。