現代的政治家

 安倍晋三は、「保守反動」とののしられ、安保改訂で退陣に追い込まれた祖父岸信介への思いが、自らの政治的原点にあるという。人が誰に思い入れをしようと勝手なので、別にそれ自体はいい。だが、だからといって、祖父の無念をはらすために憲法改正なのだと言われると、さすがにそれは飛躍なのではないかと思ってしまう。しかし、前の小泉といい、勝手に何か(誰か)に思い入れし、そういうパーソナルなコミットメントの意識が、自らの政治的行動を正当化すると言い切ることになんのてらいも躊躇もないのに驚く。


 パーソナルなコミットメント意識と、ある政治的行動の正当化の間にはものすごい距離があり、そこには論理の積み重ねがあってしかるべきはずだ。でも小泉にせよ、安倍にせよ、それをすっ飛ばしてもなんら気にしない。あるいはすっ飛ばしているという意識もない。すごい感覚だなあと思う。


 究極的には「ボクがいいんだから、いいんだい!」とさけぶ子供の論理に似ている。ある意味、小泉も安倍も今の時代をよく象徴する政治家だとつくづく思う。