再び南原繁

 先日出席した「8月15日と南原繁を考える会」の延長線上に、南原繁のことを少し考えている。とりあえずちゃんと著作を読もうと、著作集全10巻をインターネットの古本屋で購入する。しかし、南原の本って安いんだね、全集ひとそろいでもだいたい1万円から2万円で買える。これは南原にとって名誉な話なのかどうか、よくわからないけど、、、ちなみに僕は『国家と宗教』はだいぶ前に読んだが、後の著作にはほとんど手をつけていない。これから、少しずつ読んでいきたいと思う。


 ついでに本棚から加藤節『南原繁:近代日本と知識人』(岩波新書)を取り出して読む。これもだいぶ昔に読んだので、ほとんど記憶になかったが、まあ、評伝としては、それなりにバランスの取れた本であり、南原について、手っ取り早く情報を得るには悪くない本だ。しかし、それにしても、良きにつけ悪きにつけ、南原は「民族共同体」にこだわった人物であり、そういう南原を評価して書いた本の最後になって、実は南原の民族共同体には違和感がある、と書くのは、それこそ違和感がある。


 南原という人の特徴は、あくまでカントやフィヒテに即して「民族共同体」の理念を訴えた点にある。だからこそ戦後、贖罪の義務を負った民族共同体としての日本の再生を説いたのであり、その視点から、天皇の退位や独立国としての自衛力の保持を訴えるという南原独自の主張も出てきた。今日、南原を論じる意味があるとすれば、このような南原の持つ独自の主張が「戦後的なるもの」に対して持つ偏差を再度、問い直すことにあるはずだ。


 それはともかく、前に途中で放り出していた仕事を再開する。なんとか、秋までに、目鼻をつけたい。