データと野球

 連日、朝から晩まで数字とにらめっこ。書類の山のなかで悪戦苦闘している。数字と書類が嫌いな僕にとって、ほとんど拷問に近いが、これも矯正訓練とあきらめてやっている。


 しかし、その合間にマイケル・ルイスマネー・ボール』という本を読む。軒並み年俸が高騰し予算規模も拡大するメジャーリーグ各球団にあって、圧倒的に予算が少ないにもかかわらず、毎年のようにプレーオフに勝ち残っているアスレチックスの秘密を、ジェネラル・マネージャーであるビリー・ビーンの独特な野球観に探った本だ。ビーンは、これまで勘や経験に頼りがちだった選手獲得やチーム戦術を、徹頭徹尾、統計的手法によるより確率の高い方法の模索によって覆していく。


 試合を見るよりデータを重視するというビーンのやり方、それだけみると、「まー、アメリカ人にはそういう人もいるだろうなー」という感じで、あまり感心しないのだが、彼の選手としての挫折、そこから彼が学んだこと、そして彼のあくまでも合理性を求める精神を知ると、そういう手法もそれなりにありうるという気がしてくる。


 あいまいなものごとをできる限り細かく分析し、論争し、データ化していくことへの執念。やはり、これってアメリカ的なんだろうな。そして、それは誰かの個人的権威よりも、開かれた論争によってものごとを解明していこうとするアメリカ人の態度と結びついている。


 日頃、アメリカ政治学における統計学的手法の隆盛には辟易することが多いが、こういう本を読むと、それなりにそういった傾向にも背景があるのだなとわかる。やはり、昔と違ってデータへのアクセスとその統計的処理が、圧倒的に容易になった今日、山のようなデータの中から、今まで誰も見つけなかった相関関係を発見する喜びは、多くの人に開かれている。


 しかし、だからこそ、本の中にもあった、結局肝心なのは数字ではなくその解釈、という言葉の持つ意味も大きいと思う。