昨日の続き

 昨日の続き。まあ、新しい発見ではないが、あらためて、江藤淳はアメリカに適応できず、その反発でナショナリストになったのではなく、むしろかなりアメリカに適応し、アメリカ化したからこそナショナリストになったということが、『アメリカと私』を読んでいてよくわかった。