喪主挨拶

 本日は年度始めのお忙しいなか、亡き父の葬儀にご参列いただき、まことにありがとうございます。


 父は年初に心筋梗塞で病院に入院し、医師や看護師の皆様のご支援の下、なんとか病を克服して再び研究、著作の生活に戻るべく努力を続けておりましたが、最後は肺炎でこの世を去りました。


 病室で父が繰り返し「あと、2年欲しい」と申していたことを思い出します。自らの人生を振り返りつつ、学問と人類社会を展望する本を準備していた父にとって、その思いを遂げることなくこの世を去ったことは痛恨の極みであったと思います。しかしながら、父のコンピュータの中には、その準備草稿らしきものも残されています。これを世に出すべく努力する一方、何より、高き理想を求めつつ、現実社会の矛盾と向き合って行くことが、父の意志を継承することであると考えています。同じ政治学徒として努力していく所存です。


 子どもの頃より父は私にとって大きな存在でした。努力家で、絶えず周りに配慮し、多くの人のために努力する父の姿は、時に尊敬すべき、時に重すぎるお手本でした。少しばかり自分に厳しすぎるのでは、と思うこともありました。その父にとって最大の試練は母の死でした。母が急死したその日、立ち上がることすらできない父の姿を見てショックを受けたことを思い出します。「すぐに母を追う」、そんな弱気の言葉もありました。しかしながら、1年、2年とたつなかで父は生きていく気力を回復していったように思います。それは父の強い意志とともに、ここにお集まりいただいた多くの方々のご支援、励ましの賜物と思っております。


 ほぼ2週に1度、父と共に母の墓地に行くのがここ数年の私の習慣でした。墓参りを終えた後、一緒に墓地のお蕎麦屋さんに行き、私の書いた最近の著作や記事について、父のコメントを聞くのが楽しみでした。父は自らの信念に基づき、つねに厳しい批評者でしたが、同時に若い私を最大限配慮し、励ますように喋っていることがわかりました。


 その父はもういません。いよいよ自分で自分を律し、人と社会のために尽くす時期であると父が私に言っているように思われてなりません。そして父は今、最愛の母とともに天で安らかに休みつつ、人類社会の未来に思いをいたしていることと思います。


 本日、父の尊敬するH先生の司式の下、父を愛して下さった皆様に見送っていただき、父も心より喜んでいることと思います。改めまして、父に対する生前のご厚意に感謝申し上げるとともに、父亡き後も、変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申しあげます。本日はありがとうございました。