車を通じてみるアメリカ社会

 車を買った。家族でイサカに暮らすとなると、やはり自動車は不可欠である。買い物に行くにせよ、子どもを送り迎えするにせよ、車がないとどうにもならない。


 問題は車をどうするかである。レンタルできれば一番いいのだが、どうも難しいらしい。多くの人が勧めてくれたのは、やはり中古を買って、帰るときに売るというパターンであった。前に書いたように、こちらでは中古市場がしっかりしているので、それほど急激に値段は下がらないという。


 で、買ったのがスバルのフォレスター。走行距離がすでに7万キロを越えており、日本では値段がつきそうにないが、こちらでは10万キロを越えたものでも、平気でかなりの値段で売られている。実際、車はきれいに使われており、外観も内装もほとんど汚れていない。アウトドア用にかなり重装備な車だが、イサカの冬にはちょうどいいだろう。


 おもしろいのは、車の登録。ディーラーを介さずに車を買ったので、登録も自分でやらないといけない。小さな農協の事務所のような建物にある陸運局に行って、書類を提出しお金を払うと、「ほらっ」と新しいナンバープレートをくれた。日本ではナンバープレートを自分ではずしたり、取り付けたりすることがまずないので、新鮮な経験。何でも自分でやるのが、アメリカ流ということか。簡単な車両チェックはあるが、日本でいう車検のようなものもない。自己責任ということだろう。


 運転の仕方もおもしろい。田舎であるイサカでは、あまり信号が存在しない。まあ、あまり車の通りがない場所ならそれでいいのだろうが、かなりの車が殺到する交差点にも信号がないことが多い。ほとんどは、運転者間のアイコンタクトですますのである。最初は戸惑ったが、慣れてくるとそこにある一定の約束のようなものがわかってくる。自生的秩序というやつか。


 一車線しかない鉄橋もある。これは両方向から、交互に2、3台ずつ行くしかない。これまた、慣れてくると、見事に平衡感覚のようなものがある。


 何でも自分でやる。ルールは強制的ではななく、当事者相互間の了解の蓄積で、ある種の約束ごとが出来上がってくる。なんとなく、アメリカ社会っぽくて面白い。