『夕べの雲』

 先日亡くなった小説家の庄野潤三は、とくに好きでよく読む作家とは言えないものの、『夕べの雲』などは気に入って何度か読み返した。


 川崎市の生田の岡の上にひっこしてきた主人公の家族が、風に吹きさらしの岡の上にくらす。風をよけるために植物を植える話など、エピソード的な話が淡々と続くこの小説。大きなドラマがあるわけではないが、何となく読んでいて、心が落ち着く。


 最初にこの小説を読んだのは、江藤淳の『成熟と喪失』がきっかけである。江藤がこの小説をどう読んだのかもう忘れてしまったが、風に飛ばされそうな小さな家にくらす、父とその家族が描かれるこの小説のなかに、現代日本社会における「父」の意味を読み込もうとしていたはずだ。


 そういえば、この小説をイタリア語に翻訳したのは須賀敦子である。彼女はどうしてこの本を選んだのだろうか。


 いま、再び、引っ張りだしてきた文庫本の解説を読むと、この小説を書いた当時の庄野は、いまの僕とほぼ同年齢である。


 住んでいる場所も、そう遠くない。


 何となく、改めて親近感をおぼえる。合掌。