思想史

 僕は思想史関係の演習をする際には、だいたい半年で古典を1冊くらいのペースで読んでいく。僕が大学院生時代にならった先生には、一言一言ていねいに読んで、半年かけてせいぜい10数頁くらいしか進まない人もいれば、毎回100頁近くアサインメントを出してくる人もいた。それぞれによさがあり、どちらがいいとは簡単にいえないが、僕の感覚だと、やはり一冊の本を最初から最後まで、一応は読み切りたいと思う。


 もっともアメリカの大学院の演習などを見ると、毎回数冊の課題を出し、ワンタームで何十冊も本を読むのも珍しくない。まあ、いろいろやり方はあるのだ。


 やはり歴史のなかで読み継がれた古典というのは、それなりに読み応えがある。テキストのなかには、いろいろな仕掛けが施されている。その仕掛けの一つひとつを読み解き、その連関を考えていくとき、「ああ、テキストを読んでいるな」という充実感がある。もっとも、こういう読み方に関心のない人からすれば、「何をこちゃこちゃ言ってるのだ」ということになるだろう。でも、僕は、こういういかにも思想史的なテキストの読み方が好きである。


 こういうテキストの読み方からこそ、現実を二枚腰、三枚越しで読んでいく視座も生まれてくるのだというのは、思想史屋の我田引水であろうか。