『責任という虚構』

 長野と東京を行ったり来たりの日々が続いた。で、自宅に戻ってみると、小坂井敏晶さんの『責任という虚構』(東京大学出版会)が届いていた。


 小坂井さんはパリ第八大学の社会心理学の先生である。若くして日本を出て、文字通り、世界各地を転々としながら、現在の仕事にたどり着いた人である。僕より若干年長の、おもしろおじさんである。僕がフランスにいる頃、ひょんなことで知り合い、いまだにつきあいが続いている。


 小坂井さんは数年前に『民族という虚構』という本を書かれた。話題になった本なので、ご記憶の方もおられよう。今回の本は、小坂井さんの「虚構」シリーズ第二弾である。


 本のテーマはタイトルの通り、「責任」概念の虚構性を明らかにすることである。人間はつねに他者や環境に規定されて行動している。この視点を突き詰めると、およそ自らの行為を主体的に選びとる個人の責任は成り立たなくなってしまう。が、この本の面白さは、その次にある。なるほど、「責任」とは虚構である。しかしながら、「責任」とは、社会的に生み出された虚構であり、それなしには社会が立ち行かなくなる虚構である。したがって、本の後半は、「責任」が虚構であるにもかかわらず、あるいはむしろ、虚構であるがゆえに成り立ってしまうメカニズムを明らかにする。小坂井さんの専門は社会心理学だが、僕としては政治哲学の本としてたんのうした。


 実はこの本、原稿の段階で読ませてもらっている。そのときも感心したのだが、今回本になって読み直して、あらためて感心しなおした。


 感心した感心したといったことへのサービスか、原稿の段階ではなかった僕の本への言及までしてくれている。ありがたし。