精神現象学

 昨年も終わりの頃になると、だいぶ疲れがたまってきて、帰りの電車など、ずいぶんとお手軽で軽薄な本ばかり読んでいた。


 今年になってちょっと反省し、電車の中では語学の本か、なるべく重厚な本を読むことにしている。このブログにも出てきた田川の『書物としての新約聖書』や、柄谷の『トランスクリティーク』なども電車の中で読んだ。これらの本の場合、内容が重厚ということもあるが、とりあえず本が分厚くて重い。次は大澤真幸の『ナショナリズムの由来』か、新しい広辞苑でも読むと、腕の筋肉がきたえられて良いだろう。


 で、ここ数日は長谷川宏訳のヘーゲル精神現象学』を読んでいる。長谷川訳でこの本を読むのははじめてだ。しかし、まあ、なんというか、ある種の名文である。ヘーゲルの書いたものの中でも文章の難解さは、この本が筆頭である。長谷川は、なかなかがんばってわかりやすい日本語にしているのだが、文章がとっても独特な節回しなのである。ある意味、名文といってもいい。読んでいるとなんだか気分がよくなる。樫山訳がごつごつした硬質な文体であるのに対し、長谷川訳はやわらかいのである。でも、その分、読んでいると、ふわ〜っとして眠くなってくる。


 さすがにこの本、立ちながら読んでいるとちょっとつらい(周りにも迷惑だろう)。が、座って読むと、精神が弁証法的発展をとげて、遠い眠りの世界へと止揚されてしまう。残念ながら自己に目覚めることはない。やはり、電車のなかで読むにはちょっと難があるかもしれない。