政治思想史とは

 考えてみると、久しく政治思想史の講義をしていない。いや、僕の専門は政治思想史のはずなのだけど、どうも政治学の入門とか原論についての講義をすることの方が多くなっている。非常勤でも政治思想史の講義を依頼されることはめったにない。


 が、もし今、政治思想史の講義をするならば、どういう構成にするか。もちろん、個別の思想家についての研究は着実に進んでいるので、それらをフォローするだけでもたいへんだ。が、通史として講義をするにあたって、全体を貫く視座をどこに設定するか、思想の歴史の流れをどのように描くか、という問題もそれに劣らず重要である。


 昔、毎年のように政治思想史の講義をしていた頃には、とりあえず講義案を作り、毎年それを少しずつ改良していくだけで精一杯だった。が、久しく政治思想史の講義から離れてみると、今日あらためて政治思想史の講義をする意味、視点をどのように設定するか、という問題をどうしても考えてしまう。


 かつてなら、政治思想史は、たとえば民主主義の発展の歴史、自由の理念の展開の歴史、というような、ある種、歴史において実現されるべき価値を前提に構成されていた。が、いまや、そのような価値の自明性は決定的に損なわれてしまった。かといって、純粋にそのような価値を抜きに、個別の思想家の研究成果を並列的にまとめるだけでは、およそ通史を論じる意味がなくなってしまう。


 今日、とあるところで、現在ありうる政治思想史の教科書という話をしていて、そんなことを思った。