ちょっと圧倒された

 まあ昨日のK谷K人さんにせよ、同じ研究会で前にお話しいただいたラスプーチンことSさんにせよ、細かい部分では異論もあるし、全体としても話が茫漠に過ぎる印象はある。にもかかわらず、彼らの話に圧倒された、という思いもまた否定できない。


 彼らの議論の迫力の一つの背景は、『資本論』の独自の読み込みにある。僕らもどれだけ熱心かはともかく、マルクスの他の著作はなんとなく目を通しているし、『資本論』も第一部くらいなら読んでなくもない。しかしながら、Sさんの議論のポイントは、第四部の剰余価値学説史の部分だし、K谷さんの昨日の議論も、むしろ第二部の流通過程や、第三部がメインである。第一部以降の独自の読みこそ、彼らの議論の迫力の源泉であると、しみじみ感じる。むむむ、、、


 あとは、彼らが大胆に宗教論に踏み込んでいることも大きいだろうなあ。