『未完の明治維新』

 坂野潤治『未完の明治維新』(ちくま新書)を読む。この老大家、ここのところ『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)、『明治デモクラシー』(岩波新書)と相次いで公刊し、のりまくっている。昭和から明治へと遡り、今度は幕末維新である。


 門外漢の僕が言うのも何であるが、この人の真骨頂は歴史的テクストの読み込みを通じて、ある歴史の時点において何が本当の政治的対立軸であったのかを、実に大胆に、しかし説得的に復元する腕力にあると思う。『昭和史の決定的瞬間』においては、2・26事件から日中戦争開戦にいたるきわめて短い期間にありえた、日本における社会民主主義政党と日本版人民戦線の可能性を再発見することで、戦前の歴史がひたすら破局へ向けてばく進する必然的な過程ではなかったことを示している。『明治デモクラシー』では、明治・大正期の日本において有力なデモクラシーの構想が、それも一つではなく複数存在し、それらの間の対抗関係という視点から明治・大正史を再解釈しうることを示した。


 そして今回、『未完の明治維新』においては、西郷・大久保・木戸・板垣という維新の大立て者の間に、単なる人的な対立関係だけでなく、はっきりとした構想の競合関係があり、その関係が幕末から維新にかけての時期ごとに複雑に変化していることを明らかにしている。これは藩閥間の関係、征韓論をめぐる対立、富国強兵のそれぞれについて、従来の見方がいかに単純なものであったことを示すものでもある。


 政治史のそれぞれの局面を決定するのはたしかに権力闘争であるが、その権力闘争が、それぞれの勢力の持つ政治構想とけっして無関係ではないことを、三つの本は教えてくれているように思う。