憲法

 長谷部恭男杉田敦『これが憲法だ!』を読み直している。読み直している、というのは、この本を前に一度読んでいるからであり、今回が二度目、ということだ(当たり前の説明だ)。


 言いたいことは、一度目に読んだときは、この本が今ひとつぴんと来なかった、ということだ。やはり自分も政治学者ということか、杉田さんの質問は一々よくわかる。しかし、この本は基本的には杉田さんが長谷部さんに質問するという形式になっており、肝心の長谷部さんの議論に、僕はどうもついていけなかったのだ。公的と私的の区分にせよ、近代における価値の多元性の承認にせよ、それ自体はよくわかるのだが、例えば絶対的平和主義は私的な意見であり、公的に議論するにはふさわしくない、などと言われると、いったい何を基準に長谷部さんは公的と私的とを区分しているのか、よくわからなかった。また長谷部さんは、狭い意味での憲法論だけでなく、歴史論や国際関係論も視野に入れて論じるが、それ自体は好ましいとしても、それを個々の憲法解釈の基準にしていいのかについては、どうも疑問だった。


 しかし、今回注意して、もう一度読み直しているのは、おそらく長谷部さんは、これらの批判など重々承知の上で議論しているのだ、と思えるようになってきたからだ。たしかに彼の公的・私的区分は、きわめて作為的なものである。彼の意図は、彼が守りたいと思っている何かを、安易な政治化に巻き込まれないように、慎重に線引きをしていることにある。それでは、彼がいったい何を守ろうとしているのか、という視点から、今回この本を読み直している。例えば長谷部さんは憲法9条改憲に反対である。が、彼が守ろうとしているのは、憲法9条だけではないだろう。それは何か。


 ある意味、とても技巧的に構築された議論である。その是非はともかく、その構築の具合に、今関心を持っている。