岩手から近代日本を考える

 釜石で今関心を持っているのが、昔の市長の鈴木東民。戦前はジャーナリストとして活躍し、ドイツでナチス批判を展開。戦後は読売争議の指導者となり、一時はその編集権を握るに至った。この争議に敗北した後、故郷釜石に戻り、革新市政の先駆けとなった。鎌田慧さんの『反骨』が、彼の人生を詳しく描いている。

反骨―鈴木東民の生涯 (講談社文庫)

反骨―鈴木東民の生涯 (講談社文庫)


 鈴木東民は1895年生まれだが、同い年の釜石人に板沢武雄という学者がいる。日蘭関係史が専門で、戦前に東大の国史助教授をつとめ、戦後公職追放にあっている。この人も追放時代に釜石に戻っている。この二人、思想も人間としてのタイプもかなり違うのだが、人生のポイントポイントで接点があり、それがなかなか面白い。


 ちなみに鈴木東民と宮沢賢治は一つ違い。同じ岩手県人である二人は、本郷の印刷所で職工仲間だった。このほか、彼らをめぐる人間関係地図を書いていくと、石川啄木柳田国男なども出てくる。この時期の盛岡ー花巻ー遠野ー釜石のラインはおもしろいのだ。逆にこのラインから近代日本を見直す、なんていうことも可能ではないかと夢想したりする。