人の心はお金で買えるか

 ついにホリエモン逮捕ということで、みんな大騒ぎである。ホリエモンがしたことが違法行為なのかどうか、僕にはよくわからない。むしろ、気になるのが、ホリエモンを批判する人々の、その批判の仕方である。


 よく聞くのが、「汗水たらして働く人が報われない一方で、マネーゲームで莫大なあぶく銭を得る人間がいるというのは許せない」というタイプの批判。それから「金銭だけが価値というのはおかしい。金銭には換算できない価値がある」という批判も少なくない。


 どちらも、もっともな批判であり、僕としても異論はない。だが、いくら正論であっても、誰もが同じ批判を繰り返しているのを聞いていると、なんとなく違和感を感じてくる。


 僕にはどうも、ホリエモンの「稼ぐが勝ち」、「人の心もお金で買える」という偽悪的な言い方に、ある種のアイロニーの感覚を感じるのだ。少なくとも偽善的なことを言う世の多数派の人間が実際に何をやっているのか、という批判の意識があるように思えるのだ。「みんな口で言ってることとやってることが違うじゃん、だったら俺ははっきり言うよ」とホリエモンは言おうとしているのではないか。


 いや、もちろん、ホリエモンを擁護したいというわけではない。僕は彼が嫌いであり、彼がどうなろうと、どうでもいい。むしろ重要なのは、「汗水たらして働く人が報われない一方で、マネーゲームで莫大なあぶく銭を得る人間がいるというのは許せない」とか、「金銭だけが価値というのはおかしい。金銭には換算できない価値がある」という「正論」を、単なる「正論」にしないために、僕らは何を考えなければならないか、ということだ。


 「みんなが株をやっていて、20代の若者で何億も稼いでいる人がいると聞いて、心穏やかでないんじゃない?」とか、「じゃあ、お金ではかれないものって何よ?」と聞かれ、胸をはって答えられるだろうか。ちょっと自問してしまった。