岡山での学会

 岡山で政治思想学会。結局2泊3日滞在したのだが、そのほとんどは岡山大学とホテルにおり、それ以外は結局飲み屋1軒。これが全・岡山体験だった。雨がふったし、なんだかちょっと残念な気がする。


 報告は力のこもったものが多かった。自分と近い世代の方々の精緻な研究に強い印象を受け、自分もがんばらねばとあらためて思った。


 が、やはり気になったのは、個別の研究はそれぞれに深められているのだが、どうも一つひとつの研究をつなぎあわせ、理解していく文脈が欠如しているという印象である。これは個別の報告者の方の責任というより、学会全体として、多様な研究を結びつける意味の文脈がはたして共有されているか、という問題である。


 たとえばバーリンについて。バーリンがとりあげられるのは、実に久しぶりである。なぜ、日本の戦後政治思想史研究において、あれほどバーリンが愛されたのかということ自体興味深い論点であるが、それはともかく、今日、再度バーリンに注目するとすれば、当然それは過去の関心とはずれがあってしかるべきであろう。かつてバーリンがライバル視したのが左翼全体主義だったとすれば、今日のバーリン論においての仮想敵は、寛容を否定する宗教的原理主義であるように思われる。そうだとすれば、このような関心のずれは、バーリンの読みにどのような影響を及ぼすのであろうか。その意味で、かつてバーリンを愛した世代のベテランから発言があまりなかったのは、残念であった。


 ところであいかわらず参加者の圧倒的多数が男性である。学会の将来を考えてみても、このままであっていいはずはない。