再びフランス大統領選

 特急あずさにのり、信州へ。これから数日は山ごもり。


 山から下りると待っている仕事の家のいくつかを準備する。そのうちの一つはフランス大統領選の結果についてのインタビューである。といってもまだ結果はわからないのだが、今回の結果だけではなく、ある程度の歴史的な位置づけは必要であろう。その意味で、頭のなかで整理は必要だ。


 今回のフランス大統領選について、サルコジ新自由主義路線と、ロワイヤルの社民路線の対決、という解説をよく見るのだが、この図式についてももう少し考え直す余地があるのではないか。短期的に見れば間違ってはいないが、表面的な説明という気もする。


 今回の選挙の一つの特徴は、そこに登場している人たちだけではなく、そこにいない人について考えることで、明らかになる。そう、ド・ヴィルパンである。どうして彼の不在が重要かといえば、彼はシラクの正統な後継者であり、ということはド・ゴール主義の正統な後継者であるからだ。フランスの学歴システムのエリート出身であり、かつフランスの尊厳を象徴する国父的存在。外交においてはアメリカに対抗し、ヨーロッパの独自性をアピールする。このような役割を担う存在をド・ゴール的なものとすれば、今回の選挙で、そういう役割を担う可能性があったのはド・ヴィルパンぐらいであったろう。そのド・ヴィルパンが初期雇用契約の件でぽしゃってしまったが、その背景には、そのようなド・ゴール的なものの伝統を支えたフランスにおける権威の構造がすでに空洞化していたことがあげられるだろう。そのように見れば、サルコジにしても、ロワイヤルにしても、そのような権威の構造の空洞化によって台頭してきた政治家である。


 それでは、フランス政治はどうなっていくのだろうか。権威構造空洞化のフランス政治について、考えてみないといけない。