釜石でなぜ若き研究者は苦悩したのか

 昨日、釜石入りして、今日二日目である。実はこれまでいろいろあった、、、


 昨日、朝、家をさっそうと出たまではよかった。が、途中の電車がなぜか遅れる遅れる、ぎりぎりに行った自分も悪いのだが、僕をのせた山手線が東京駅に入ったその瞬間、予約してあった新幹線はやては静かにホームを離れたのであった。泣く泣く15分後の新幹線にのったが、無念、新花巻駅についたとき、釜石線の列車は二時間半に一本ということがわかった。むなしく新花巻駅で呆然とした後、気を取り直して駅のそばにある宮沢賢治記念館に行き、「雨にも負けず、風にも負けず、列車の遅れにも負けず、、、」と一人唱えたのであった。


 釜石に着いてようやく研究所のメンバーと落ち合うやいなや、会う人ごとに、「あ〜、新幹線に乗り遅れたXさんだ(僕のこと)〜」と言われてしまった。でも、いいのだ、この日は調査団全体として中日と言うことで、いろいろエクスカーションや釜石の方との懇親会が企画されており、懇親会には間に合ったのだ。いいのだ、いいのだ。



 今日は朝から気をとりなおして、午前中市役所で古い資料のコピーをとらせていただき、午後一番で釜石商業高校で、釜石の今昔イメージを調査するワークショップ(大半の生徒さんが女性でとても緊張した)、市民会館で市民講座(これは釜石の方に対しての感謝の気持ちを示すために企画されたもので、僕は「ジダンはなぜ頭突きをしたのかー多民族社会フランスの苦悩」というタイトルでお話をさせていただいた。タイトルはミーハーだが、フランス社会の現在の難問についてのシリアスな話だったのだ)、そして最後に地元の郷土史家の方と懇親の場を一席もった。



 ちなみに調査団の本部という部屋があるのだが、今日のぞきにいったら黒板の「今日の予定覧」には「市民講座 X「ジダンはなぜ頭突きをしたのかー多民族社会フランスの苦悩」と書いてあり、さらにその上に「市民講座 「Xはなぜ新幹線に乗り遅れたのかー若き研究者の苦悩」と書き加えてあった。くそ〜。誰が書いた〜。