内在的な他者

 昨日の研究会には飛び込みで『竹内好という問い』の著者である孫歌さんが出席してくださった。彼女の言葉の一つひとつが重みを持ち、久しぶりに言葉で人を酔わす力を持った人に出会った気がした。


 彼女にとって竹内についての本を書くことは研究ではなかった。彼女は研究対象として竹内に接したのではなく、自分がものを考えるための構造を作り出すため、竹内を「内在的な他者」として自らのうちに確立することを目指したという。


 人はどのようにして歴史をつかむことができるか。そのためにはプロセスが必要だと孫歌さんはいう。彼女は言葉の力のみによって時代を代表しうる人間を「知識人」と呼ぶ。しかしどの知識人がある時代を代表していると言えるだろうか。ある人がAという知識人がBという時代を代表していると主張したとする。なぜそういえるのかという批判はたやすい。しかしながら、Aでないとすれば、誰が代表しているかを言うのはずっと難しい。結局、人はある人を選び、その人の言葉を通じて時代と切り結ぶしかない。そういうプロセスを経ることによってしか、人は時代と出会うことはできない。そういうようなことを話されたと思う。


 知の営みは、自らの「内在的な他者」の確立によってのみ可能だという孫歌さんの言葉を重く受け止めたい。