偲ぶ会 遺族挨拶

 本日はご多忙のなか、亡き父宇野重昭を偲ぶ会にお集まりいただき、心より御礼申し上げます。また、会場をご準備いただいた成蹊学園・成蹊大学をはじめ、宇野ゼミ同窓会、国際政治学会、さらにアジア政経学会など、ご協力いただいた関係団体の皆様にも感謝いたします。とくに発起人となっていただいた天児慧先生、石川修さま、石田淳先生、遠藤誠治先生、亀嶋庸一先生には、お礼の言葉もございません。心温まるお言葉を頂戴した亀嶋庸一先生、毛里和子先生、清原正義先生、天児慧先生、滝口太郎先生にも、心より御礼申し上げます。そして遺族として、ご参列のすべての皆様に深く感謝する次第です。


 父は、この正月に心筋梗塞を発症し、闘病生活を送っておりましたが、去る四月一日、肺炎で死去いたしました。昨年夏には私と一緒に故郷隠岐の島を訪れ、この正月も孫たちと楽しく過ごしたことを思うと、本当に信じられない思いでいっぱいです。日中関係を中心に世界の行方を思いめぐらしていた父は、自伝的なものを始め、いくつかの著作を準備しておりました。それを世に問うことなく旅立ってしまったのは、さぞや無念であったかと思います。病室でも、トランプ大統領の就任演説を熟読している姿が印象的でした。本日お配りした資料には、父の遺稿の一部を掲載しております。


 私にとって、父は肉親であるのみならず、研究者としての先達でもあります。同じ政治学徒とはいえ、西洋政治思想史を専門とする私と、国際政治、とくに中国を中心とする東アジアを研究してきた父とでは、まったく専門が異なります。とはいえ、私の目から見て、研究者としての父には、大切な三つの中核があったように感じます。


 第一は、膨大な資料を渉猟しつつ、多様な人々の思いや動きを多面的に捉える実証的な研究者としての顔です。私が子どもの頃、父といえば、大相撲のテレビ中継をつけながら、新聞や雑誌の切り抜きを、いつ終わるともなく続けていた姿を思い起こします。あまりに地道な作業に、正直なところ、「研究者にだけはなるまい」と子供心に深く思ったほどです。とはいえ、人を単純なイデオロギーで裁断しない、時代の中で翻弄される一人ひとりの人間に寄り添って考える、といった父の研究者としての姿勢は、あの地道な作業に基づいていたのだとあらためて思います。中国に対する父の見方も、けっして単純ではなく、多面的でした。父は西洋的基準を押しつけるのではなく、中国をあくまで内在的に理解しようとしました。一方、中国もまた一枚岩でなく、その多様な要素が世界との相互触発においてどのように展開していくかを見ていこうとしました。父は最後の日まで、流動する世界の中での日本と中国の関係について考え続けていました。そのような父を、私は深く尊敬しています。


 第二は教育者としての顔です。父は大学を愛し、学会を愛し、さらには市川房枝記念会や大学セミナーハウスの十大学合同ゼミなど、様々な場で、学びの思いに燃える方々と接することを何よりも愛していました。怠け者の私には思いもよらぬほど、父は多くのエネルギーと時間、そして愛情を教育に注ぎ込みました。その際、E・H・カーの『歴史とは何か』、マンハイムの『イデオロギーユートピア』、さらにケルゼンの『民主主義の本質と価値』、ニーバーの『道徳的人間と非道徳的社会』などがテキストとして繰り返し用いられていました。私はそこに矢内原忠雄先生を始めとする諸先生に学んだ父の、20世紀最良の教養主義の遺産を見出します。父はこれらのテキストを多くの皆さんに繰り返し説き続けました。その「凄み」を、私は今でも感じています。


 第三は、水俣や中国の小城鎮などでの調査に見られる、フィールドワーカーとしての父です。子どもの頃、家にはまちまちな形の夏みかんがたくさんありました。ひどく酸っぱかったのを覚えています。なぜだろうと思っていたのですが、あるときそれが水俣のものであることを知りました。父は鶴見和子先生をはじめとする多くの研究者や石牟礼道子さんといった方々と、日本や中国の地域に入り、そこで人々に接し、現場から多くを学んでいきました。その意味で、鶴見先生や父のいう「内発的発展論」は決して抽象的な理論だったとは思いません。それはフィールドを回る父の実感ではなかったでしょうか。思想史研究者である私が岩手県釜石市福井県、そして父の郷里である隠岐の島などで地域調査をしているのも、ささやかながら、そのような父の姿を追っているものと言えます。


 昨日、父の納骨式を終えました。七年前に母に先立たれて以来、一時は再起できないほどのダメージを受けた父ですが、それでも再び気力を取り戻し、最後まで自立した生活を過ごしてきました。その間、私と父は二週に一度くらい、一緒に墓参りに出かけ、その際にいろいろな議論を交わしてきました。今、父と母は再び天で一緒になり、楽しく語り合っていることと思います。


 今後、非力ではありますが、私なりに、父の仕事の一部でも受け継いでいければと思っております。本日お集まりの皆様が、様々な父の言葉や振る舞い、あるいは仕草のうちの何かしらを心に留めて下さり、そこから今日を生きるための精神的エネルギーを汲み取り続けていただけるのなら、遺族としてこれにまさる喜びはありません。


 ちなみに父は自らの墓碑銘に「練達は希望を生ず」という言葉を残しております。希望とは単なる楽観ではなく、信じて、耐えて、練達の上で初めて生じるものであることをこれからも肝に銘じて生きていきたいと思います。


 本日はありがとうございました。